わたしのママ
このママのおかげで今あるわたしは存在しているのです。
20年前わたしは、不妊治療に通い、100パーセント諦めていたぐらいの奇跡でかなちゃんを授かりました。
ほんとに奇跡でした。そこでわたしは神様の存在をほんとなんだと信じました。いつも神様は必ずいるんだって…そして、わたしは神様に伝えます。わたしをみていてね、いつもわたしがちゃんとしてるか、みていてねって。そしてわからなくなったりしたら、教えてねって。
結婚がわたしは早くて、当時22歳とにかく若すぎるとか、なんにも出来ないからと、言われて反対されていたけど、パパは童顔だけど、26歳ちゃんと働いていたから、お父さんも決定的に反対も出来ず結婚して、わたしは晴れやかに家を出ることができ、一人暮らしならぬ、自由暮らしが出来ました。
そして、羽を羽ばたいて自由人。いつも、ママが、今日何時に帰ってくる?ご飯は何よ、って美味しい献立で、わたしを釣っていたから、わたしは不自由でした。
完璧にママはわたしを美味しいお料理で支配していました。
そんなママは更年期に差し掛かる頃、ちょうどわたしの今の年代の時に、心療内科に通うようになりました。そして、わたしはいつも、ママからの電話にうんざりでした。
そして、そんなママを無視したら、今度はわたしを見てーと、カードで大量に買い物したりと、時にわたしの財布からカードをとって、買い物したりと…ほんとに、うんざりでした。
そして、当時のわたしとお父さんは、ママと向き合うのも面倒でした。今思ったら、わたしはとんでもなく薄情な娘です。自分の生活に夢中でした。そして、その場しのぎに、ママを喜ばせたりして過ごしていて、そんな時に結婚。
そして、わたしはわたしに赤ちゃんが出来たらママの病気がなおるかもしれないと思ってのことでした。
だけど、苦しい不妊治療をして、奇跡に妊娠して、わぁって喜んでるのも束の間でした。もちろんママは喜んでくれていたけれど、とてもママ自身が不安定でした。なんと、妊娠中の10カ月の間にママは自殺未遂を3回もしました。当時のわたしはあまりの驚きと悲しさと、なんともいえなかったです。
だけど、ママも苦しいだろうけど、わたしは自分の苦しさを、どこかへ置いて、とにかく赤ちゃんを産むことをとにかく必死でした。
どう生きていたか覚えてないけど、当時のわたしは、かわいそうでした。赤ちゃんを普通に出来なかった、人工的に作ることに、とてつもない罪悪感も持っていて、わたし自信も不安定でした。
そして、かなちゃんが産まれてきてくれて、そんな中でもママはいっぱい孫を愛してくれていたけれど、結局はうまくいきませんでした。
わたしは、わかりました。孫が、ママのさみしさや病気をなおすんじゃないんだと。
わたしが、ママをなおしてあげるとか、絶対に出来ないんだと。
わたしが、変わらないと、ママはそのまんまなんだということ。
最後は家を売って、土地を売って、借金を返すような形にまで発展。お父さんは裸一文で故郷に帰ったりと、お父さんもたくさんたくさん、泣いてました。その分ママもいっぱい泣きました。もちろんわたしも。悲惨な私達がそこにはありました。だけど、今悲惨な人生にするのも、しないのも自分次第だと思うのです。
それから、フラにわたしは出逢います。フラを踊ること、つまり。自分自身を愛することを、やりました。とにかく、わからないまんまに、必死に、泣きながら、踊り続けて、馬鹿みたいに、外で満月や新月には踊ってました。
そして、今までの過去の悲しみや怒りや不条理、そして、自分の情けなさや、後悔を全て丸ごと、泣きながら抱きしめながら踊ってました。そして、過去の悲惨な、かわいそうな体験を、事あるごとに必要な場所で話しました。合宿やワークショップや、セッションしている時に…
最初の頃は大泣きでした…悲しい涙や、辛い涙がどんどん出てきて、みんなが心配してくれたり、同情してくれたり…なんか場がなんとも言えない空気に包まれたり…
時にあー言うのをやめた方がいいかな?とか、怖くなったりと、色々していく中で
また、どんどん話す機会があって話しました。同じような経験されている方が目の前にいたら、親子関係で悩んでる方とか…そうしたら、みんなが緩んでくれて、わたしも同じように溶け合って、そして、だんだん、笑って話す事が出来る様になって、だから、本当に話すことは、どんどん放すこと、解放なんだって
後から、いろんな方々から教えてもらうんですね。私達は体験が先で、後から知識でした。だから、実体験をもとにさせてもらう事が出来ました。ほんとにありがたかったです。いつも、ちゃんと導かれるように、確認させてもらう出来事がありました。安心感と、自信が自然と出来上がってきました。
時に、わたしが、ママの気持ちになって踊ってました。もちろん父の想いも感じながら踊ったりと、わたしがどんどん、自分自身が癒されていったら、今度は、わたしの愛する人となって踊ったりと
それから、踊りが祈ることと、自覚していたら、どんどん不思議なことが起こるのです。ママとわたしの関係性がどんどん良くなってきて、何よりあったかいのです。
奇跡です。奇跡の毎日が、踊ることで、それはつまり自分の命を愛することで、悲惨な図から変わり、今では過去世です。ほんとに産まれ変わりました。
わたしのまわりがどんどん変化して、そしてわたしもどんどん輝いていきました。
今では、ママに逢うと、涙がぶわぁーっと溢れて溢れて、悲しい涙でもない、愛の涙が溢れます。今こうして書いていてもです。
自分でもわかりません。そして、わたしの娘のかなちゃんも、そんな状態になります。
側でいつもわたしの話を聞いてくれている恭子ちゃんもそんな状態になってくれています。
愛の状態です。
わたしのママはもう存在だけで、わたしを愛の大きな大きな懐へすぐに連れっていってくれる存在です。
ありがとう、ママ。
わたしは、ママから、ママの魂を通して、そのまんま、存在だけで本当に良いんだよっていうことを教えてもらったように感じています。
過去はどうして、こんなお家に生まれてきたんだろうって、何回も思っていたわたしの過去。
わたしだから、このお家に生まれてきて、
わたしだから、わたしだから、といつも、ベクトルを自分にむけて、生きてました。
わたしだから、とぎゅーって抱きしめてあげました。
わたしという人生、いのち、ママはママの人生を生きて、今、存在しています。
きっと、どの命も、おんなじです。
わたしに大切なことを教えてくれた先輩方がいます。
わたしを愛すること、m.a.n.aさんのきっかけを頂きました。
私達も、自分の実体験を通して、そして踊りを通して、今までも深い分かち合いや、シェアをさせてもらってきました。
これまで以上に最強で、迷いない私達です。
それは、今何をとっても、どこをとっても明確なのです。私達も過去先輩方からの多大な愛の叡智を頂き今の私達が存在しています。
その多大なる大きな大きな愛を、私達もまたみなさんへと、繋いで、繋がってこれからの人生生きていきたいです。
今も、何人かの方々とzoomでおはなしさせてもらっていてね。みなさんととっても深い話をさせてもらっています。毎日が愛の、自分の愛の中心にいるので、ぶれません。
今はこの溢れくる私達のエネルギーをとにかく循環させていきたいです。
いつもたくさん受け取ってくれてありがとうございます。