ストリートで踊り出して、すぐ友達のお知り合いの老人ホームで慰問のボランティアをした
名前がいるねと、ハワイ語なんかほとんどわからないままに、パッとインスピレーションですぐにつけた名前は、m.a.n.a
あとから、なんと、まぁ、すごい名前をつけてしまったんだと気づく…知らないって素晴らしいね
はじめは、慰問するも、ぜんぜん喋れなくて、踊れる曲も5曲くらいはあったのかな…説明書きを老人ホームのスタッフの方に読んでもらいながらの、30分くらいのステージ…
めちゃくちゃ緊張した
さて、これからどうしていこうか…曲をどうすればいいかな…
振付したこともないけれど、やってみるしかないか…と思ってたところ
そのころ使いはじめたインターネットで、福岡のキャナルシティにキャンペーンでハワイの人が踊りに来ることがわかりー
まだまだ、ぜんぜんハワイの人のフラを直で見ることなんか出来なかったころで、やったーって感じで見に行ったときの衝撃!!!!!!
えーーーーなんか違う!!踊りがすごい違う!!!!!!なんじゃ、この足捌き、腰捌き??
習ったのもぜんぜん違うし、見たことない動き方
すごい感動して、握手してもらって、アミのことだったかな?腰をまわすのをどうしてるのか、聞いたのかな…何を質問したのかもうはっきり覚えてないな〜
それから、今度はワークショップとやらがあることがわかり、ハワイのクムが来てくれて、東京、大阪、福岡で、曲を習えるという情報を得る
やった、福岡でクムから習える!!!
1曲、1時間半で1万円か…どんな感じなのかな…でも、習えるのなら行ってみよう!!!ってことで
ドキドキのクムのワークショップへの道
なんとーー最初に行った曲は、大好きなケアリィレイシェルのエピリマイだった!!!
一気に教えてもらって、必死に覚えて、書くという…
曲の説明も、軽い感じだけど、時間がないからしょうがないか…
ステップも、手の所作も、見よう見まねでなんとか着いていく
とにかく必死だったけど、すごく嬉しかったのを思い出します、帰ってきてから、何回も何回も思い出しながら練習したね…
それから、何年かはワークショップへどれだけも通いました
一回が3曲から4曲、月に一度は、全曲受けに行ってて、おおきなイベントのときは、出演して、そこに来てくれているクムのワークショップを何日もかけて、出来るだけ受けた
大阪や東京にも、いろんな地域のところへと、機会があるたびに通った
今まで、習ったステップとの違いがどんどん明らかになっていく…自分達で、教室から飛び出して、自然の中で踊った感覚を試行錯誤で練習していたことの答え合わせをずっとしていました
そして、クムの後ろで踊ったら、めちゃくちゃ気持ちいいし、空気がこんなにすごいんだってどんどん踊れていくし、慣れてきて、覚えるのも早くなって、踊り符は、スペシャルに時間内に細かいところまで書けていった
1日4曲だってへっちゃらで、何日続いてもどんどん身体と頭に入っていった、喜びで覚醒してたんだろうな〜
もう、あの頃の集中力はないなぁ〜笑
しかも、そんなお金も、どうしてたんだろうなぁ…涙
どのクムもそれぞれの踊りで、それぞれの好きなステップがあって、組み合わせ方や、好きな曲のチョイスとか、世界観がすごく感じられました
そのころのフラの先生方は、大きな団体を辞められたりして、自らの教室を持たれている方が多くて、みなさんハワイを求めていらっしゃいました
ワークショップは、ほとんどが先生方の中だった…
そんな中で、私達はいつも2人で受けてるし、出演もいつも2人なので、その頃は珍しくて、とても目立った…
出演は、めちゃくちゃ緊張したし、控室で着替えることさえできなかった…
manaさんたちは、何のためにフラをしてるの?って、教室も持たずに、何をするの?ってきかれたり
2人で受けるのはもったいないじゃない、どちらか1人が受けてシェアしたら?って言われたりした
私達にとって、どの質問も正直チンプンカンプンだった
何のためにって…m.a.n.aの活動が自分を愛するために、自分へ踊ってるんです…だなんて
その頃は、わかってもらえんだろうなぁと勝手に思ったり、なんでか怖くてはっきりと言えなかった
どちらかがひとりで受けるってことも、考えたこともなくて
2人で一緒に、クムが伝えようとしてくれてる奥を感じたくて…
その場所のこととか、愛のこと生活のこと、植物のことやレイのこととかはもちろんのこと
踊る深さや、空気感、話してくれるクムの経験のこと、喜びだけではなくて、悲しみとか、歴史とか、感じ合って、そこから、また2人で深めていくことを1番大切にしてたから…
優しいクムが、話してくれてるときに、ジーンとしてくれたりして、その奥にある、自分の昔の話をしてくれたり…そんな姿に震えて一緒に泣いたり
英語がぜんぜんわからないけれど、訳してもらう前にそのエネルギーで伝わる…愛の息吹
すぐに号泣してた
時に、感じあって、ハワイへ自分のところへいらっしゃいって声もかけてもらったり…
出演したあとに、ウルウルした目で、ご自分にされていた素敵な美しい生花のレイを、かけてくれて、くださったことも…
ちょっと踊ってみてごらんって、40人くらいだったかな、みなさんの前に出されて踊ったこともありました、その時は、この喜びで踊ってるのを見なさいって、言ってくださっていて…
その奥は、愛でした。
ワークショップを一緒に受けてる中に、そのクムの生徒さんがいらっしゃって…明らかにその方に向けて伝えていた、受け取り次第では嫌われてもいいという、まっすぐな愛でした…とてもわかります、その真意が…
でも、たくさんの方とのワークショップは、時間も少ないから、クムのお話の途中でも、この曲の衣装は何色でどんなのですか?とかの、まったく空気読まない質問が来たりしたのも何度もあって、私達はガッカリしてた
あまりに悲しい、陳腐なことも…
ハワイアンの歴史の悲しみをえぐるような質問もあったりして、クムを怒らせてしまったこともあって、私達もその空気がたまらなくなってしまって、息が苦しくて、その後に、外で瞑想したりして…
その姿は、たまたまクム達が見てくれていたみたいで、次の年は、そのときのこと…瞑想してる私達を見て、自分達がそうしなければいけなかったとみんなで話したんだと、私達に伝えてくれたときには、ほんとに心からうれしかった
この14年の中で、日本で、クム達もガッカリしたご様子をいっぱい目の当たりに感じて
それから何年か通ったワークショップでのクムからのエネルギーが、どんどん何か変わっていくような感覚になっていきました
どんな時も私達は、フラを愛しています、踊ることは生きること、自分に恥じない生き方であり続けたいと強く思って、それからは、逆にもっともっと自分達の中のフラへと、さらに入っていきました
はじまりの頃の私達
ずっとずっと変わることなく、自分を愛するということ…いのちへ響かせて、震わせて、からだの中を通して、踊り祈る
自分に嘘偽りなく、怖がることなくオープンにして、そのまんまを、体験を等身大で踊り続けたい