母の初七日の供養が終わって…
たくさんの心遣いが届き、ママの好きだったお花や
美味しいお菓子が届き…
唯一の親戚のおばちゃんが駆けつけ
涙ながらに過去を感じて、わたしがママの変わりにごめんなさいと伝えることができて、わたしも、ようやく安堵し
わたしの友達が、駆けつけてくれて、いっぱいのわたしの好きなもの、ママに似合いそうな豪華なお花を持ってきてくれて…
わたしのママはしあわせな人なんだなぁって
今朝はお花をみながら、ひとりつぶやいてみました。
よく、ママは世が世なら、ママはお姫様だったと…ふふふっと笑っていました。
マリーアントワネットの如く、生きていらっしゃいました。
2家族分は軽〜く財を潰してしまうぐらいの大物です。
そんな、わたしのママですが、わたしの娘のかなちゃんに、たくさんのお手紙を遺してくれていて、当時の小学生、中学生のかなちゃんと何通も手紙のやりとりをしていて、
その中の文章で、あっとうてきに言っていた言葉が、
かなちゃん、素直で明るい子に育ってね、
かなちゃん、素直でね…
だったのです。
かなが、一言、ばあちゃん素直に自分がなりたかったんやねって…
かなにとって、ばあちゃんは、ばあちゃんだから、かなは、ばあちゃんがどんなばあちゃんでも大好きしかないって言って、いっぱいいっぱい泣いてました。
そして、ばあちゃんは、しあわせな人やったねって。
だってしあわせな人としか、思えないよって。
だって、それは、ママがとっても素敵な人やから、やっぱり、ばあちゃんとじーちゃんが親だから、だから、子供はちゃんと親に似るんだよって…。
わたしも、ママのことが大好き。
勝手にわたしのお財布からカードとって、30万ぐらいするコート買って、あきちゃん、どうしても欲しかったから、このコート買ってしまったの、と後から事後報告してきたり…
時に、家に泥棒が入って、お父さんのボーナスが全部盗られたと…
しかも、2回も…
その当時は、私も、父も、泥棒が…と信じてたのですが、
あれは、もしかして嘘かもしれんと…先日父がボソッと話すのです。
わたしも、ええっー…だけどなんだかそうかもと思えてしまうのです。父もわたしも、自分達がバカだと、
タクシーで、どこまでも行ってみたり
お金のこと、全然考えてなかったり
言うたらマイナスなことばっかりでも、
わたしはどうしても、芯から嫌いになれなかった。
わたしが妊娠の時に、3度の自殺未遂事件を起こした時に、唯一、色んな気持ちが交錯したけど、
今となっては、逆におそるべし、ルリ子とさえ思ったほど、ママの生命力の強さや、守ってくださってる、守護霊様のパワーを感じさせてもらいました。
事柄は迷惑なことをしてくるのだけど、ママは、自分の命を通して、わたしにいつも強く訴えていたかのように感じます。
ママの命を通して、わたしも、素直に生きて行こうって、そして、素直に生きていけるように
自分の気持ちをいつも、ちゃんと感じてあげて、時に守ってあげて、そして、抱きしめながら
父と母は、やむ得ない事情で離婚しました。
弱音を吐かない父が、ある時、何故か大阪なんだけど、ルリ子と、わし、大阪に行って、死のうと思うという、電話がかかってきたことがありました。
わたしは、そこまでお父さんが追い詰められてたんだって思って、お父さんも、もう充分だよ、お父さんもう、離婚したらって伝えたことがありました。
そして、程なくして、離婚して、
そんな、父が、今回、わしの骨はルリ子と一緒の、下関の墓に入れてくれと。
わたしは、驚きと嬉しさが…
お父さん、ママのこと愛してたの?って尋ねたら、照れながら泣きながらどうなんかのーって
そして、父が、ママは台湾のおとうさんだったから、昔は色々と差別があったり、言われようのない蔑まれたりがあったんと思うと…
文学少女だったママ、スカーレットが大好きで憧れでした。
ママは暗い人だったみたいで、唯一の友達は本だったんだと。
お父さんとママとの出逢いの話を聞いてたら、ママが、ボロボロと涙を本に落としながら読みよってからのーって、言うお父さんの言葉の中に、そんなママのこと可愛くて大好きだったんだなぁって、嬉しかった。
本の世界と現実の世界をいったりきたり…本の世界のまっすぐな世界、愛の世界、美しい世界、純粋な世界が大好きだったママ。
現実世界のあまりのギャップについていけないママ。競争社会、損得の社会、差別の社会。いっぱいの傷を持ってしまったママ。唯一の希望の光である、わたしの存在。かなちゃんの存在はママにとって、かけがえのないものだったと…
ママが出来なかったことをいっぱい、私たちが受け継いでいこうって…
ママは、どんなことになっていても愛されてたんだなぁって。
わたしのママと、お父さんは本当にドラマティックに大恋愛して、お互いに素直になれなかったふたり。
父が、かなちゃんに伝えてたことは、当たり前に思ってることを、ちゃんと口にして伝えて生きろと!
わたしも、かなもすかさず、じーちゃんがそれをばあちゃんにしてあげたかったんやね…と。
じーちゃんは、照れて出来んやったんやねと。
かなも、恥ずかしいけど、がんばると!
いっぱい、いっぱい濃ゆい愛の本音の時間に包まれて過ごすことが出来ています。
朝晩、みんなで般若心経を唱えています。
祭壇にはお花と、ろうそくの火と、そしてお香。
リンはなかったので、チベタンベル、父はびっくりしていたけど、だけど、その様子をみても何も言わず、ただただ、私達のお経をあげる姿をみて、ひとり感じていました。
大切なのは、形や、形式なことではなくて、
まごころです。まごころは、祈りであり、最強であり、神様とちゃんと繋がることができて、人がちゃんと、この地で生きていくことを示してくれるんだと。
パパとわたしと、きょーこちゃんと3人でママの祭壇の前に正座して、今日一日の出来事を話して、自分の心のうちを話すことをしています。
パパは自分の心のうちを話すのが苦手で、恥ずかしい人だったのですが、ママの祭壇の前に座ると、自然にどんどん本音を話してくれていて…だから、わたしも恭子ちゃんもお互いみんなが自然に同じ方向、ママの祭壇の方をむいて、いっぱい素直な時間を過ごすことが出来ていて、この出来事はママのプレゼントだと、
そして、このようなことが、ずっとずっと昔からされてきた、セレモニーなんだなぁと
亡くなった方を目の前にしていたら、自分の本当の気持ちしか話せない状況なんだなぁと…
そして、般若心経を唱えます。般若心経も、ハワイのチャンティングもまったく一緒なんだと。最近では、チャンティング唄ってたら、般若心経が感じられて…
まったく、共通してるんだと。頭ではわかってたけれど、今回体感させてもらうことが、ママのおかげで出来ました。
しかも、パパのお義母さんともオンラインで一緒に般若心経を唱えさせてもらったり、
お義母さんとも、ずいぶんご無沙汰だったのですが、今回のママのことで、いっぱいのことをわたしも伝えたことがあったり、パパが変わったので、そのパパの変化にお義母さんがいちばん喜んでくれて…
だから、わたしのこともたくさん誤解していた部分が、一気に解けて緩んでくれて、
そこに、いちばんの力を発揮してくれたのは、もちろん恭子ちゃんで、
今では、お義母さんも、恭子ちゃん、恭子ちゃんって…
わたしの父も、鹿児島に帰る日の最後の食事会の時に、もちろん恭子ちゃんを誘うようにと、前日にわたしに伝えてくれて…それにも、驚きだったのですが。
食事が終わって、父が新幹線で帰る時に、あらためて、父が一言。恭子ちゃん、あとはよろしく頼むぞと。ニヤッと笑いながら伝えるのです。
わたしのパパも一応いるのに、そして、慌ててパパにも、亜希子にともくんも、何かあるなら言いなさいよと、苦笑いしながら、伝えてるのです。
その父が言ってくれた一言すごく嬉しかった。父は、わたしのフラを認めてないわけではないけれど、なんともという感じでした。
フラで、ずっとずっと家にいなかったから、かなのことが心配で仕方なかったのだと思うけど、だから、私達の関係性とか、胡散臭くて、どこか、宗教ぽく感じて、わたしのまっすぐな性格から、何かヤバいと感じて心配していました。そして、いつもわたしにそれは、仕事なんか?ちゃんと儲かってるのか?と言われ続けていました。もちろん、私達は儲かるとか、そんなふうな感じでこの、フラをしていないから、全然父とは話が通じず、父は全然理解してくれていない状況でした。仕事とは、という人でしたから…
今回の事で、いっぱいの私達の謎や誤解が、父が芯から解けて、緩んだかと…
これは、もう奇跡だなぁと。
いっぱいの奇跡と幸せの連続です。
ママがわたしに命を通して遺してくれたものは、かけがえのない、今までの過去の埋めることの出来ない、繊細なものを
ママがわたしにプレゼントしてくれています。
わたしは、その繊細な気づきをちゃんと受け取れるように…
日々、日々、感謝の心を持ち、一生懸命生きていこうと、そして、今の目の前の人を大切に、これから出逢わせてもらう人を大切に、真摯に生きていけますように…
これからもどうぞよろしくお願いします。
このように、文章に残す自由に感謝致します。読んでくださったみなさま、わたしの話を聞いてくれてどうもありがとう。嬉しいです。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。
勇気を出した、わたしにありがとう。
わたしを産んでくれたお母さん
ルリ子さんありがとう、また逢おうね。
2021年9月23日秋分
このブログを載せるにあたり、わたしの最愛の娘かなちゃんにも伝え、快く了承してくれたことに、感謝につきる次第です。