
鹿児島🟰お父さん

一昨年ぐらいから、お父さんに実は頼んでいたことがありまして
お父さんの住んでいる地区で、踊らせて欲しいと、お願いしてました。
お父さんは、色々住んでいる地区で畑をしたり、卓球を初めてお父さんが、その会の長だったり、畑のコミュニティを立ち上げていたり、
地区のお世話係だったり、神社の係だったり、何かと、一人暮らしだけど、忙しい毎日を送っていることは、わたしも、遠く下関にいても
とても安心していたんですね
そして、その父に何か踊れるような会がいろいろうるやろ?とたずねていて
一度、そこで踊らせてほしいと、頼み込んでお願いしていたのです。
そしたら、父はいつも、もう、決まったところがあるから、難しいし、お父さんが、娘が出て踊るからとか、ワシがなかなか言えんやろうがと、いつも尻込みしていたのです、
父は娘贔屓ではないのです。どちらかといえば、厳しくて、褒められたことはなく育ちました。
まあ、照れ屋さんで、頑固で、だけど、肝心な時には、わたしをちゃんと愛してくれてるんだけど、
わたしにとって、ストレートな愛し方ではないのです。
なので、わたしにとっても、めっちゃ恥ずかしいし、勇気出しての今回のことでした。
いつも、わたしが何か前向きなことを言えば、必ず難癖をつけてきたり、素直じゃない反対の言葉を言われて育ってきていて、わたしの中にどうせ、こう言われるやろうなぁが、いつもあり続けました。
だけど、何年もかけて、わたしはお父さんとの関係性を一生懸命コツコツ時間をかけて、変化させていてね。素直な関係性になりたい一心で、いつも、がんばってあの手この手で伝え続けていました。
その一連の踊りをみて欲しいに尽きたのです。
しかも、地元の夏祭り
親戚や、お父さんのお友達や、お父さんのフィールドの中
でも、お祭り会場に着いたら、あっこちゃん、よー来たねーって、見覚えがあるけど、名前とかわからないおばちゃんたちが話しかけてくれて、誰?誰なんやろ?心の中ではめっちゃえーっとーって…
東京に住んでた幼稚園のころから
わたしは、夏休みは、1人で飛行機に乗って、スチュワーデスさんに優しくしてもらいながら、田舎に帰ってまして、約一ヶ月おばあちゃんの家に帰っていたんですが、
実際には、親戚の家や、そこらあたりの誰かよくわからない人の家で、日替わりに過ごしていたんです。
普通はおばあちゃんの家で過ごすと思うのだけど、おばあちゃんと過ごした記憶はおにぎりしか、記憶がなくて、
わたしの記憶といえば、外で遊んで怒られたり、葬式は昔手作りの料理を作っていて、そうめんを手づかみでお皿にいれてたら、あーって大人が大騒ぎしてたり、
そして疲れたら、昔はクーラーがなかったので、クーラーのある家のおばあちゃんが昼寝してるところで、寝にいってたり、テレビの大きいうちで、くつろいでスイカ食べたりと…
そんな子供だったので、田舎のたくさんのおばちゃんたちに育ててもらいました。
でも、鹿児島にはママが天国に還って大人になってからは、お正月に一度帰るような娘で
ぜんぜん寄りつきもしなかった、田舎
そんな、わだかまりがあるところから、
自分の心の違和感を感じてまなさん活動をしていました、
父にとって、わたしが踊ることは、すごくすごく抵抗があったかと
最初は色々言ってる時代がありました。
宗教か、
騙されてるやないか
おかしいんやないか、どうかしとるやろなどなど
途中からは、何も言わない圧力がありました。
何年か前には、父の手書きで家系図が送られてきました。
そして、その最後の文には、
お前は、まぎれもなく中薗の血がこうして間違いなく脈々と続いてるんだぞと
ひとりで大きくなったと思ったら大間違いだぞと
父はわたしを、血縁で押さえつけて、きました。
わたしはわたしで、めっちゃ反発して、更に、踊りに固執して、踊りへの熱量を高めたかと思います。あの頃が恥ずかしいですが、一生懸命と言えば聞こえが良いですが、もっと、父と歩むことができたでしょうが、
わたしも、意地をはったり、ぜんぜん素直ではなかったです。何か、醜い見返してやりたいなぁ、わたしは、こんなことをしてがんばってるんだーっていう想いがめっちゃあって、それをわかってほしいが強かった…
そして、ママが病気になったり、ママと離婚したことを、どこか、少しお父さんのせいでもあるやろうと、責めていました。
そして、ママが亡くなり、家族葬をおこないました。その時に、わたしが喪主となり
ママを天国に送りました。手作りのママのこの人生の旅立ちのセレモニーを
わたしと、かなと、きょーちゃんと、パパで
その時に父は、ママが父に買っていた、派手なパパスのシャツ、オレンジ色を着てやってきたのです。
あー、お父さん、敢えてそのシャツでお別れするんやなぁって…お父さんがママへの愛の示し方でした。
家族葬で、
わたしたち4人の空気感
わたしと、きょーちゃんはそりゃ当たり前ですが、パパと、かなも、同じ空気感だったことに、まず父はびっくりしたかと思うのです。
バラバラだと、思ったのかな、父は
だけど、かなも、パパも、何年か前からずっと、心に向き合って、分かちあいが、みんなの努力により、行われていたので、この空気感になって、ママのお葬儀が出来、父にこのようにみてもらうことができました。
そして、わたしたちが般若心経を、一心に唱える姿をみてくれて、
より一層父は、安心のところに穏やかな心境で、ママを悲しむところになっていきました。
そう、祈り。
祈りの姿
父はそれから、わたしへの見方が変化しました。わたしだけではなくて、きょーちゃんにも
m.a.n.aさんとは一度も口にしたことはないですが、何かしら、伝わってるのかなぁと
天国にかえっていったママが、残されたわたしと、お父さんの関係性を繋いでくれました。
そして、それから父に一度でいいから、
踊りをみて欲しいなぁという心がめばえてきました。
前置きが、長くなりましたが、

お父さんが喜んでる
嬉しかった
結局お父さんは、わたしたちの踊りを見てはなかったのですが、
だけど、この顔の写真です。
わたしも、お父さんが観ないだろうなぁと思ってたけど、ほんとに、みらんつもりなんやなぁって、笑っちゃいました。
そして、バカだなぁって
そして、照れ屋なんやなぁって
そして、あーそうだ、この土地でお父さんの住んでるこの、土地に踊らせてもらって感じてもらったらいいねってなったら、
今度は、あー、そっか、見るとか、見ないとかじゃないなぁ、エネルギーが、この空間には愛の熱量が集まってるから、お父さんもその空気には包まれてるなぁって思いながらいたら、
いつのまにか、最後の曲、いのちの歌で、あー
お父さんも、いっぱいいっぱい苦労してるなぁとか、今こうして、元気に暮らせて、しかも、地元のみなさんが、めっちゃ吉次郎、吉次郎って言ってくれて、愛されてるなぁって
わたしも苦労したなぁって、だけどわたしには踊りがあって、そして、愛されてるなぁってしみじみいつも、ありがたいなぁに変化させてこれたのは、踊りがあったから…
あーわたしはお父さんの娘でよかったなぁとか、嫌だけど、だけどこんなに、反発してるけど大好きなんやなぁとか…中薗米盛の孫っていうのも言えばよかったなぁとか、あーわたし結局、中薗の血が嫌いってなってた時もあったけど、誇りにも思ってたりしとるんやなぁとか、同じように、台湾のじーちゃんや、ばあちゃんの顔も思い浮かんだ瞬間
まりやさんの、歌詞のいのちは継がれていくの時に、瞬時にぶわぁーーってひろがった
そして、
なんかめっちゃ泣けてきて、あー涙が出たらいけん、いけんって思いながらも、ふぅっと天へと、捧げていました。
今回、わたしがMCしたんですが、最初に中薗吉次郎の娘、亜希子です。と言わせてもらいました。
すごく、照れたし、勇気出しました。
そしたら、みんなが、おおおおっーて言ってくれて一気にあったかい空間になってからの、ペレを踊らせてもらいました。
ナーヴァケロス、アイノカタチ、いのちの歌
めっちゃ、ステージで、わたしは踊るだけではなく、お父さんが嫌がるようなことをMCで話しました。
アイノカタチでは、ママが亡くなってから、この曲を踊るようになったとか、ストーレートに大好きとか、お父さんがドキッとすることを、バンバン言ってしまって、あーちょっと言い過ぎたかなぁとか、もっと、あーわたしもテンパってしまったなぁとか、そんな心模様でアイノカタチは踊ってしまったり、
また、きょーちゃんはすごいなぁとか、それは、よくきょーちゃんのお父さんやお母さんはフラを見に来てくれていて、あーこんな状況の中できょーちゃんは、自分に集中しながらも、愛を、自分に集中して踊ってるんやなぁとか、
あー、わたしは、あーって感じでしたわ
とほほほ
そして、なんとか無事に終わったら
1人のおじいちゃんが2000円持って駆け寄ってきてくれて、
お父さんのいとこなんじゃ、わしはってつぶやいて、わたしに1000円、きょーちゃんに1000円頂きました。
おじいちゃんは九十何歳だって、お捻りでした。
めっちゃ嬉しかったー
それからも、白い紙に包んだものを、わたしの手に握らせてもらったり、カレーやフランクフルトをもらったり、お父さんにはいつもいつもお世話になってるんよって声かけいっぱいしてもらって、
わたしも、いつも父がお世話になってますって、これからも、父はひとりでさみしいから、よろしくお願いしますって、伝えることが出来て、そして、何よりきょーちゃんと一緒にここで、m.a.n.aとして踊らせてもらうことが出来て、
ほんとに。心から、安心と喜びでした。
ありがとーきょーちゃん、結局荷物も多いから、周防大島から、ノンストップの8時間半の長距離運転でした😭😭😭😭😭

きょーちゃんも、一緒に泣いてくれて、感じてくれて
お父さんも、きょーちゃんと仲良くしてくれて
あーーーよかったぁーーー
これで、安心、ありがたいありがたい
アイノカタチでは、ママもきてくれていました、
ていうか、いつも感じてくれてるね

身体があるから、やっぱり、生で見てもらいたいとか、体感したいけど、空極は、自分の中で完結の世界だね
あー、ことばになりませんが、このあたりで
はぁー集中させてもらいました。
なんだか、意味不明かもしれない箇所もありますが、この未完成なブログをわたしのために示したいと思います。
読んでくださった方、ありがとうね。
そして、セッションをいつも受けている方、何かしらのヒントになれば
オンラインレッスンを受けている皆さんにも、
踊っている時の心模様
そして、自分への集中、わたしの中にいるというところ、何かヒントになれば
これからも、どうぞ一緒に育んで生きてください。
ありがとう、読んでくれて