娘の一言

先日の、思いがけずのzoomでの時間

かなちゃんが、今では、ママみたいになりたいって言ってくれたこと…

時間が経つにつれて、嬉しいことでした。

かなちゃんは、小さい頃から私には自分の心の言葉を包み隠さず話してくれていたから、時には心がグサってなったりして、私もあまりにも本当の事だから、グッと腹がたったり、感情的になりながらも…ううってなって、そりゃそうだね、ごめんね、ってなる関係性でした。

例えば、私達は色んなところへ踊りに行っていたので、小さい頃は一緒に連れていってました。時には学校を休ませて、野外学校へ参加と、先生には話したりして、そしたら、うちのかなちゃんは目立つ事が嫌だったから、ほんとに嫌だったみたいで、また、お母さんが外で踊ってたりするのも恥ずかしく、絶対にひた隠しでした。私達が痩せていたら、良かったのかもだけど、そんなに大きいのに、なぜそんな裸みたいなのかとか…

夕陽や朝陽に向かって、踊り続けているママ達

満月や新月には、外へ出て踊るママ達

山の中でキャンプして、踊り続けるママ達

滝の中や滝壺に入って出てこないし、海は、深いところに行ったり…危ないやろ…

雪山で、踊ってるママ達

いろんなママ達の姿を側でみていて、育った子供達。

いつも、私達だけで突っ走っていました。

どうして、普通のお母さんじゃないのか?とか

どうして、そんなに自分勝手なのか?とか

そして、そんなに自分勝手なのに、自信満々なのかとか??

かなちゃんの中には、言い知れぬ❓が満載な幼少期から思春期まで過ごしてました。

いつしか、参観日のお手紙を見せなくなり、お知らせがなくなりました。三者面談の時には、わたしに一言、いい、何にも一言もママは喋らないでねってクギをお口にさされました。

もちろん、身ぶり手振りのリアクションもダメだよって…

わたしはもちろん、ええっーなんでなの?と反論するのですが、彼女の意思は強くて、ママだって、自分の意思を強くもって言うこと聞かんやろって言われたりで…ううってなりながら、そうかと…確かに…

自分の言う事だけが正しい訳?と強く言われると、いや、そうじゃないよね…となったり

また、時には思春期の頃に、まず基本的に私と一緒に買い物には行きたがらなくて、それはなんでかと言うと、私と居たら目立つみたいで、なので、私は一緒に買い物行ったりしたかったけど、なかなかそれは叶わなかったのです。

小さい頃よく、踊りに全国飛び回っていたからさみしい想いをさせてしまってるという、私の中にたくさんの罪悪感がありました。

その罪悪感を一生懸命埋めるためのひとつに、買い物行って、かなちゃんの好きな物を買ってあげようって思ってたりしてたんだけど、

なかなかかなちゃんは、なんにもいらないっていう子供でした。だから、わたしは焦ったり、なんだか、かわいそうだなぁって心に思っておりました。

そして、ある時に、かなちゃんが、わたしに言った一言。それは、ママもう謝らないでって

かなは、可哀想な子供なん?と、言われました。

ママは、謝るようなお仕事をしてるん??って

ああっーーほんとだね、そうだね、ごめん

かなちゃんは可哀想な子供じゃないし、そうだね、そうだったね、ママ、ばかやったね…

うん、もう謝り過ぎんで。かなは、かなだよって。大丈夫なんだよ。って小学生の時に私に伝えてくれた一言でした。

それから、中学生の思春期の頃

この頃は恥ずかしさと、人目がピークで、その買い物に、一緒に行った時に、突然私の頭を押さえて、ママしゃがんでと、そして、手を口に押さえて、静かにしてと、言われそのまんまレジまで2人でしゃがみながら、歩いたりしました。その時は中学の先輩グループがいて、その人達に見つからないようにと、必死になっていました。

よっぽど、しゃがんでレジまでふたりで歩く方が目立つと思うのだけど…とわたしは思いながらかなちゃんの言う通りにやっていました。

その日の帰り道にわたしは、かなちゃんに話しました。かなちゃん、なんで隠れるん?って

そしたら、いいやん、ママに言ってもわからんやろって

確かに、わからんかも。かなは、恥ずかしいんよって、

誰もかなちゃんのことみてないよって私が言ったら、ぷんって怒ってました。自意識過剰なんよって言ったらもっと怒ってました。

そして、最後にはもうママに言ってもなんでもかんでもわかってくれんーーって怒ってました。

わたしも怒らせるつもりはなくて、ただただかなちゃんがいつも生きづらそうだったから、それをなんとかならないかなぁと思ってただけで…

しかも、わたしには本音で話してくれてるから、怒りも、拗ねも全部出してくれていて、

友達には自分の本音を伝えてないから、疲れた人間生活を送っていました。

そして、ある時は、かなは、まだ心を開きたくないと、ママみたいに心を開いたりしたら、学校に行けなくなる、まだ、心を開きたくないから、開けないでくれと、宣言された事もありました。

その時も、ああっそうか、ちゃんとかなちゃんの気持ちは、そうなのかと、そして、心を開けば、学校行けなくなるだなんて、名言だなぁと

なるほどってなった一言でした。

また、小学生の頃にはママの怒るポイントがわからんのよ。と、突然前の話とはぶっ飛んでいくから…

みんなのお母さんは成績が悪かったり、宿題しなかったり、人に迷惑かけたり、そして、お母さんの言う事を聞かなかったら怒られるけれど…

ママは違う。わからんのよーと言われていました。

だけど、今ならよーくわかる。ママはかなが嫌がる事を、見せたくないかなの、心の声を聞いてそれをかなに伝えていたから、かなは、それに反応して怒ってたよね。

なんで、そんな嫌なこと言うんやろって怒ってた。

今では、自分の気持ちをしっかりと受け止めて認めて、さっきはごめんなさい。かなが悪かったと。ごめんなさいがちゃんと言えるかなちゃんだよね。

ママにいちばん言いたくない、自分はどうなんだ、と思う人なのに、そんな時にグッと腹の中の逸物を抑えて、ごめんっていうこと。ほんとにそれは神様からのプレゼントだと。

かなちゃんが、ある時に泣いた顔を隠して、大丈夫だよを装ったふうで過ごしていた時があって、わたしが、すかさずにどうしたん??ってなんかあったの??って尋ねたことがあって

どうしたん?なんかあったんなら話してほしいってすごい、お願いして、そして、もしママが理由なら謝りたいからと。

そしたら、嫌だと、謝らないで…そしたら、ママが楽になるやろ。

がーーーんなんとっ、ママを楽にしたくないから謝るなと…罪悪感をもたさせるだなんて、しかも、理由も教えてもらえないから、気にさせるだなんて…と

ほとほと、おそるべしだなぁと。そうか、よほどわたしのことを許せないんだと…そんなやりとりだったり

そんな関係性から、先日の娘の一言。

少しでも何か参考になればと、思い乱雑に過去を振り返ってエピソードを思い出して書き起こしています。ここ最近、わたしは文章に綴ってなかったから、感覚が変だし、ちょっと疲れたけど、ちょっと伝えたいことがあるから、このまんま書き進めます。

先ほどの、ごめんなさいという、この一言。これは、ものすごい、深いものが込められていて、わたしは魔法の言葉だと思います。

魔法とはなんじゃろうかと言ったら、全てを許して、溶けて愛になる一言。

そして今では、ママみたいになりたいよと伝えてくれました。

高校生のころのかなちゃんは、友達のお母さんが謝ってくれんって言ってて、ママは、謝ってくれるもんねと…だからうれしいと…

手にはペンを持って、何やら私達のいう事を書いてました。zoomで画面越しにうつるかなちゃんは、しっかり自分の道を未来へと向けられていて、そこへかなちゃんの道があるようです。

わたしは今世かなちゃんを産ませてもらい、かなちゃんの存在から今の私が存在していて、ほんとに、ほんとに有難いことだと。かなちゃんからたくさんの愛の言葉をもらって、わたしの中の、頑固な自分の正しさというエゴの壁をどんどん打ち破ってくれました。そして、気づかせてもらいました。

かなちゃんも、たぶんそうだったんだろうなぁと。

そして、恭子ちゃんの存在があって私達親子の関係が理解しあえたのです。

恭子ちゃんがいつも、かなちゃんがわからない時、ママに言ってもわからない事を、恭子ちゃんがかなちゃんのそばに肩時も離れずに側に居てくれたからこその、私達親子の今の関係性です。

子育てして、自分を知る…

何か一つの芸事をして、自分を知る…

仕事して、自分を知る…

何かしらのことに関わりながら、結局のところ

自分を知ることに繋がる。そして、自分を深く知る事で、繋がって、神様とひとつになり、

愛し合い、愛されるように…

ああっ、またどんどんなっちゃうから今日はここまでです。ありがとう。このような文章読んでくれて

ああっ、久々に書いたからドキドキしてるし、なんだか、こわいね。そっか、心の中のもの全部書いたからだね。亜希子より。

この文章をブログの下書きにずっと残っていてね、かなちゃんシリーズを恭子ちゃんが綴ってくれたので、このタイミングでちょっと書き留めておきますね。

誰かの勇気になってもらえたら…