小さい頃のわたし 亜希子編

恭子ちゃんのブログを読んでわたしもじーんと感動して、ちょっと自分のこと書いてみようって思いました。だけど、わたしは文があちゃこちゃと、頭の中の脳味噌がとっちらかってて、今ようやく最近説明とか、自分のことを整理して、理解して、そして、何より自覚している実践をさせてもらっています。

このブログもそのひとつのチャレンジです。どうぞ、長文ですがおつきあいくださいませ。

私は、逆子でへその緒が2回首に巻きついて仮死状態で産まれてきた命です。

だけど、生命力が半端なかったのか、いつもにこにこちゃんでした。そして、どんくさい人でした。

お勉強もぜんぜん出来なかったし、その場しのぎでいつもしていて、興味のないことには全くでした。

写真は先生と手を繋いでる写真がいっぱいで、どこか目を話すと色んなところへ言っちゃうんでしょうね。

とにかく、サプライズが大好きなわたしだったので、人を驚かすことが大好きでした。時にそれはとっても迷惑なことも含めて。

調理実習で味噌汁を作る時、わたしの班だけ、カレールーを入れてカレーにしてみたり、空き家に子猫を集めて、猫と放課後過ごしたり…そしたら、日曜日にたまたま猫を見に行ってみたら、空き家じゃなくて、人が住んでて、びっくりしたりと…

わたしのお母さんは、この子は頭の線が一本切れてるのかもと、よく言ってました。

そんな、私はめっちゃ愛されました。それは愛敬があったのでした。そして、自然にいつも謝ることが当たり前だったから、いつもごめんね、ごめんなさいが普通の暮らしの中でごくごく当たり前なことでした。

そして、わたしのお父さんはとっても、しっかりしていて、いつもわたしのことをしっかりさせなくてはとがんばっていて、だから怒るとめっちゃ怖かったです。正論で話すので、圧倒的にわたしがいつも悪くて怒られてました。

大人になっても、私は父の正論で話をする感覚がとても窮屈で、だから反抗的でした。

初めて、わたしが彼氏と付き合ってる時、わたしはお構いなしに初めての彼に夢中でした。

一人っ子のわたしは、お父さんしか男の人は知らないから、お父さん以外にこんなにも男の人を頼ったり、甘えたり出来る存在に…うっとりでお熱でした。しかも、想像しかしていなかった、エッチな世界。わたしは初めてチューをした時、自分にもこんな日が来るだなんてというのを記憶しています。彼から抱きしめられる感覚が胸がキュンキュンしてときめいていました。人の目もわからないままにチューをどこでもしていたから、わたしの家の御近所さんはわたしと彼がチューしていたと、噂されていたみたいで、わたしはママからすごい勢いで怒られました。なんで、そんなに怒るんだろう、自分もお父さんとしてるのに…って心の中で思ってました。つい言葉にもしたりしたら、頭ごなしにバカかと、言われてました。マンガやテレビでは愛する人とそんな風にきゅんってなることはとっても良くて幸せなことなのに、現実との違いにうんざりでした。お父さんは、その男が責任とってくれるのかの、一言。責任って…

その頃のお父さんとわたし

もちろん、manaさんになった頃、父はびっくり仰天で、なんやそれと、めっちゃ馬鹿にしていました。

しかも、それは、遊びだろと、お前が今すべきことは、まだかなが小さいのだから、しっかりかなを育てなければ…と

そんな中、私たちはハワイへ強行10日間行くのですが…

わたしは恐ろしくて、恐ろしくて、お父さんにハワイへ行くだなんて言えませんでした。

当時、かなちゃんは小学1年生、ゆーくんかなちゃんは小学生3年。まだ小さい、そして、ご飯のこともあるし。と頭を抱えていたら、私達の産みの親のひとりでもある、助産師の名和田先生がわたしの家に泊まり込みできてくれて、子供達のおさんどんを引き受けてくれたのでした。

こうして、わたしは10日間、先生もちゃんと家を守ってくれるし、かなちゃんも安心して先生と過ごせるだろうって思って…ハワイへ行く日の準備を着々としていました。

わたしの心のドキドキを隠したままに…

そして、成田空港に到着して、夜ご飯を食べて、さぁーいよいよ出発ってなった時…

不安と苦しさと、ドキドキと、そして涙がブワァーって出てきて、もうあまり覚えてないけど、

恭子ちゃんがびっくりした顔を思い出します。

そして、今更だけど、お父さんに電話しました。

今からハワイへ行ってくると、そして電話口でお父さんは、あきれて、そしてすごい勢いでかなは、どうしてるのか?と聞かれて、わたしは、名和田先生が泊まり込みでお世話してくれるんよって伝えたら、それにもかなり怒ってて、

覚えてる一言は、なんで今まで言わなかったのかと言われたから、わたしは、怒られるから怖かったと…

そして、わたしは、そのまんまハワイへ行きました。

きっと日本では大変な状況だろうなぁって思いながら…帰ったら謝る日々だと覚悟していきました。

お父さんに電話をする時に、わたしは10日間だからバレないだろうって思う心がありました。

きっと、大丈夫、黙っていても…

だけど、その時いつも、心の中で思うのです。ばれてないって言ってるけど、わたしの心は知ってるよね。そして、そんなの、神様は全部見ちゃってるよね。わたしの心のずるい心や、ちょっとこれぐらい良いよねなんていう、小さい心の声も…

恥ずかしい。

そして、何より苦しい。

やっぱり、ちゃんと言おうって、威張れたもんじゃないけど、お父さんに伝えました。

そして、月日が経った今、お父さんも私達のmanaの事を理解してくれて、今はお仕事としてみてくれています。

そして、何より当時複雑した中で、名和田先生が私達2家族の中に入ってきてくれて、黙ってお世話をしてくれたことに、あらためて感謝しています。

昨日は母の日でした。私達の産みの親のひとりである先生へ感謝を込めて…❤️❤️❤️

話を戻せば、お父さんに電話して、わたしは一通り泣いたら、後はさっきまでの苦しさや、後ろめたさがなくなって、楽になったのを覚えています。

そして、恭子ちゃんのなんともいえない顔が思いだされます。ごめんね、恭子ちゃん、せっかくのハワイ出発前に、こんな気持ちにさせちゃってと、わたしの心の中はいっぱいでした。

そして、わたしは心が軽くなってハワイへ行ってきて、帰ってきたら色々な事があって、それから10年間ハワイへは行くことが出来ませんでした。

越智啓子先生とこゆきちゃんが誘ってくれて、ハワイ島へ行けた時は奇跡でした。

10年後の私は、10年前の状況とは違っていて、堂々とハワイへ行く事が出来ました。

続けていることへの証だと思います。最初からみんな完璧ではなくて、失敗したり、迷惑かけちゃっています、知らず知らず…自分ではかけてないつもりでも…だって人は繋がっているので、大好きな人のことは心配します。

だけど、その都度人と、人とが本音で話して良い悪いを判断するのではなくて、思いを伝え合うことをしていくことを続けていけば、絶対に良い関係性になれるってわたしは信じています。愛から離れずに真っ直ぐに…諦めなかったら絶対に。

だって、私達は愛を体験するために産まれてきた命だから。

わたしは、ひとつのことをコツコツと積み重ねることが出来なかったけれど、フラに出逢って恭子ちゃんからその、コツコツと地味に努力することの喜びを教えてもらいました。今はとってもそのコツコツが大好きです、そのコツコツは、わたしは幼少期からコツコツとわたしの心を見ていたコツコツとおんなじだったから。

だから、わたしは踊ることは、心の声をコツコツ聞くことと一緒で、ステップ踏むのも愛おしいのです。

それを、あらためてここに綴らせて頂きました。

わたしのストーリーを読んでくれてほんとにありがとう。心から感謝です。そして、一緒にみなさんと愛を育んでいきたいです。ありがとう。

みなさんも、ご自身のストーリーを思い切り歩んで行ってくださいね。どんな自分も丸ごと大丈夫だから。みんなで、きゃあきゃあ言いながら、踊りましょう、笑いましょう!はしゃぎましょう!!